まいどおおきに、ねやです。
2022/03/11、JR奈良線から突如として103系が定期運用から離脱した。
これには驚いた人も多いのではないだろうか?
僕も驚いた。
JR奈良線の103系を何度も延命して酷使してきたJR西日本が、
何の予告も無しに定期運用から離脱させたのだから。
おおさか東線の201系は事前に引退が公表されていたのに、103系は何故されなかったのか。
これにはなにか理由があるに違いない。
ということで今回は、JR奈良線の103系が何の予告もなしに定期運用から離脱した理由を考察していこうと思う。
なお、これはねやの勝手な予想でしか無いから、間違っているかもしれない。
あくまで1つの説として考えてほしい。
あと定期運用離脱という言葉は分かりづらいし長いから、
ここからは引退という表現を使っていく。
意味が若干違うが、わかりやすさを重視するためだ。許してほしい。
【結論】2つの理由がある
まず結論から言ってしまうと、
103系の引退が告知されなかったのは下記の理由があるからだと僕は予想している。
- 鉄オタを集めないため
- 利用者に変化が少ないから
どういうことなのかを、ここから1つ1つ解説していこうと思う。
鉄オタを集めないため
まず1つ目の理由が、鉄オタを集めないため。
これは大体予想がつくだろう。
みなさんご存知の通り、世間での鉄オタのイメージは最悪。
103系の引退が告知されたことで沿線や駅に鉄オタが集まり
列車の運行を妨げられる可能性があることや、利用者からのクレームを恐れ
あえて公表しなかったのだろう。
これが1番の理由だと思うが、おそらくこれだけではない。
なぜなら201系は事前に引退が告知されていたから。
鉄オタを集めたくないのなら、201系も告知しなかったはずだ。
それでも201系の引退が告知されたのだから、
他にも何か理由があるはずだ。
利用者に変化が少ないから
そこで考えついたのが2つ目の理由。
103系を引退させたところで、利用者に変化が少ないからということ。
例として、おおさか東線から201系が引退したときに起こった変化
(201系→221系)のうち、一般人にも分かるものだけをあげると、
- 座席が転換クロスシートになった
- ドアが3つになって乗車位置が変わった
- 乗り心地が良くなった
の3つの変化があった。
特に2つ目の乗車位置の変化は、
整列乗車などに影響が出るから事前に告知しないと大問題だ。
対して、奈良線から103系が引退したときに起こった変化
(103系→205系)のうち、一般人にも分かるものはほとんど無い。
強いて言うなら電車の見た目が変わったことくらいだ。
それくらいの変化しか無いのであれば、
事前に告知しなくても問題にはならないだろうと
JR西日本が判断したのかもしれない。
まとめ
ここまで、103系の引退が告知されなかった理由を話してきたが
いかがだっただろうか?
まとめると…
- 鉄オタが集まることによるトラブルを防止するため
- 103系から他の車両(205系)に突然置き換えられても、利用者に影響が無いから
という理由があって、103系の引退が告知されなかったのではないかと僕は考える。
鉄オタ対策が一番の理由
その中でも1番の理由は、鉄オタが集まることによるトラブルを防止するためだと考えている。
だから鉄オタが起こすトラブルが減れば、
今後こういった予告なしの引退は減っていくのではないかと思う。
とは言っても、ほとんどの鉄オタはトラブルを起こしていない。
どういうことなのかと言うと…
トラブルを起こす鉄オタはごく一部
だからだ。
ほとんどの鉄オタは大人しく趣味を楽しんでいるだけなのに、
一部がバカすぎるせいで、鉄オタの民度の平均が下がっているのだ。
とはいっても、どんなところにもバカは必ず存在する。
バカは自分の行いが正しいと、痛い目を見るまでずっと思い続けるから、滅びることはない。
バカッターやバイトテロが悪いことだと言われているのに滅びないのもこれが理由だ。
痛い目を見るまで考えを変えようとしない。
だからバカは救いようが無い。
【結論】予告なし引退は今後も起こる
ということで今回のような予告なしの引退は、
バカな鉄オタがトラブルを起こさないためにも今後も起こると思われる。
これに関してはどうしようもない。
バカは痛い目を見るまでバカで居続けるし、トラブルも起こす。
バカが犯罪にでもならない限り、この現状は変わらないだろう。
普段からの記録の重要性に改めて気付かされた
そして同時に、普段からの記録の重要性に改めて気付かされた。
変化の激しい2020年代、
鉄道車両に限らず、今あるものが突然消える可能性は0ではない。
実際、中華ウイルスの蔓延によって、あらゆるものが突如として消えた。
修学旅行、卒業式、会食、海外旅行、ラストランイベント…
上げだしたらきりがない。
こんな時代だからこそ、普段から写真・動画等での記録や
記憶に焼き付けておくことが重要なのではないだろうか?